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芦野漁業部さんインタビュー

漁師が支える 自然豊かな町 豊浦町

豊浦には40件ほどのホタテ漁師がいる。
味はあまり変わらないが漁師によってサイズが違うそう。
昔はカレイの刺し網をやっていた礼文地区(豊浦にもレブンがあるそう)で、 50年前から養殖ホタテをするようになった。
※ちょうど2016年はホタテ養殖50周年。

当初100万しかなかった売上も2014年には10億円に迫り、今や漁師がいなくては豊浦町が成り立たなくなる程に漁師が街を支えている。

受け継がれる漁師の歴史

芦野漁業部さんは、親子4代も続く歴史ある漁師だ。
現当主三代目の芦野新一さん、奥さん、息子の一義さん(四代目)の芦野さん一家、他スタッフでホタテの養殖を行っている。

初代当主は、礼文地区で養殖が始まって4,5年後に参入。当時ホタテの養殖を始めた最初の漁師の一人だった。

四代目 一義さんの家業を継いだ想い

現在、三代目と共に海に出て、漁を学んでいる四代目 一義さん。

漁師の後継者不足の問題が多い昨今、若い担い手はかなり貴重だ。純粋な「息子」が家業を継ぐ形での跡取りは豊浦でも珍しいらしい。なぜ漁師の道、家業を継ごうと思ったのか一義さんに聞いてみた。

実は、一義さんも札幌で就職することを考えていたそうだ。 だが、なかなか希望する職がなかったり、タイミングが合わなかったりで悩んでいた。 そんな中、ご両親から「年を取ってから漁を覚えるのは大変。だったら若いうちに覚えておけば、就職して万が一クビになっても漁が出来る」とアドバイスが。 その後、漁師の専門学校で免許を取り、すぐに四代目として漁を手伝い はじめることになったそうだ。

自然と向き合う仕事

特に大変なのは、やはり生物を扱っている分売り上げに浮き沈みがあること。
2017年のホタテの歩留まりは2016年の半分くらい(おそらく2016年は200t程上がっていたが、2017年は100t程)だそう。
養殖したホタテを引き上げ、トラックに積んで市場に卸すのだが、 16年はトラックいっぱいだった。 17年はトラックに積んでも平らになってしまうのだとか。 原因についてだが、「温暖化や台風の影響で水温が変化したことじゃないかな」と、三代目新一さんも頭を悩ませていた。

1回目の漁は家族で海へ

その日1回目の水揚げは決まって父・母・息子の三人で海へ出るそうだ。水揚げしたホタテを陸へ上げると、ゴミの除去やホタテの選別があるためお母さん(後で名前入れる)だけ陸へ上がる。家族仲良く働いている。

取材スタッフも船にのせてもらったが、ハードな漁に耐えきれず船酔いしてしまった。新一さんらの淡々とホタテを揚げる仕事ぶりに、さすがプロだと感動した。

素人には過酷な仕事に見えるが、例年より沢山ホタテが獲れたときの喜びや、壮大な自然を相手にする感動もあり、とても充実しながら働いている。
最後に、三代目の新一さんに、四代目一義さんの働きっぷりについて聞いてみた。
「まだまだ分からないことだらけで覚えてもらうことがいっぱいある。早くいっちょまえになってもらわないと」
海の男として厳しく四代目を指導しつつも、実は四代目のために新しい船の購入も考えているそう。
三代目が四代目をあたたかく見守り、それを奥さんがサポートし、若い漁師として四代目が引っ張っていく、そんな素敵なホタテ漁師一家でした!